
関東機能的脳外科カンファレンスの設立当初から事務局を守らせていただき、設立当時には想像もできないほど充実した会に発展した現状を見るたびに感無量という気がしています。
この10数年の関東機能的脳外科カンファレンスがもたらした最大の収穫は、古い時代の悪い意味での施設間の垣根を取り払い、この分野で働く者に仲間意識を芽生えさせたということではないかと思います。
もちろん対抗意識や競争は臨床や研究の原動力としてポジティブに働くことも多いのですが、逆に無意味な敵対意識の原因にもなりかねません。
このような無意味な敵対からは決してよいものは生まれません。
しかし一方で仲間意識が単なる慣れ合いにつながることのないよう常に自戒しなければならないのも大切です。
本会がますます発展し、関東という名前を保ちながらも世界中から参加者が集まってくるような、そのような学術的にも親交の場としても素晴らしい会としてさらに発展していくことを祈念しています。
今回ホームページを刷新するにあたり、自治医科大学 渡辺英寿教授の多大なるご支援をいただきました。
ここに心より感謝申し上げます。
また、本会の創設時から長年にわたり御協力いただいております株式会社杏林製薬の方々にも御礼申し上げます。
| 石島 武一 | ||
| (3名) | 倉 公朋 | |
| 谷口 真 |
| 片山 容一 | ||
| (9名) | 河瀬 斌 | |
| 河村 弘庸 | ||
| 平山 晃康 | ||
| 堀 智勝 | ||
| 真柳 佳昭 | ||
| 山本 隆充 | ||
| 横地 房子 | ||
| 渡辺 英寿 |
| 上利 崇 | 国際医療福祉大学 | |
| (53名) | 旭 雄士 | 金沢脳神経外科病院 |
| 安藤 肇史 | 宮城病院 | |
| 飯村 康司 | 順天堂大学 | |
| 伊藤 陽祐 | 西新潟中央病院 | |
| 稲次 基希 | 東京科学大学 | |
| 井原 哲 | 東京都立小児総合医療センター | |
| 岩崎 真樹 | 国立精神・神経医療研究センター病院 | |
| 岩室 宏一 | 順天堂大学 | |
| 臼井 直敬 | 静岡てんかん・神経医療センター | |
| 梅村 淳 | 順天堂大学 | |
| 大島 秀規 | 日本大学 | |
| 落合 卓 | おちあい脳クリニック | |
| 海渡 信義 | 東京慈恵会医科大学 | |
| 開道 貴信 | 大阪樟蔭女子大学健康栄養学部 | |
| 川合 謙介 | 自治医科大学 | |
| 川崎 隆 | 横浜市立大学附属市民総合医療センター | |
| 北見 公一 | 北見クリニック | |
| 木村 唯子 | 国立精神神経センター | |
| 國井 尚人 | 自治医科大学 | |
| 小林 一太 | 田中脳神経外科病院 | |
| 小林 正人 | 埼玉医科大学 | |
| 佐藤 澄人 | 北里大学 | |
| 嶋田 勢二郎 | 東京大学 | |
| 白水 洋史 | 福岡山王病院 | |
| 杉山 憲嗣 | 豊田えいせい病院 | |
| 平 孝臣 | 東京女子医科大学 | |
| 太組 一朗 | 聖マリアンナ医科大学 | |
| 竹林 成典 | 名古屋セントラル病院 | |
| 種井 隆文 | 名古屋大学 | |
| 寺尾 亨 | 厚木市立病院 | |
| 戸田 正博 | 慶応義塾大学 | |
| 長尾 考晃 | 佐倉中央病院 | |
| 中嶋 剛 | 自治医科大学 | |
| 中島 円 | 順天堂大学 | |
| 仲間 秀幸 | 友愛記念病院 総合健診センター | |
| 永松 謙一 | 仙台西多賀病院 | |
| 野ア 孝雄 | 浜松医科大学 | |
| 樋口 佳則 | 千葉大学 | |
| 深谷 親 | 日本大学 | |
| 福岡 誠二 | 脳神経外科ふくおかクリニック | |
| 藤本 礼尚 | 獨協医科大学 | |
| 堀澤 士朗 | 東京女子医科大学 | |
| 本望 修 | 札幌医科大学 | |
| 前原 健寿 | 東京科学大学 | |
| 増田 洋亮 | 筑波大学 | |
| 松森 隆史 | 聖マリアンナ医科大学 | |
| 宮城島 孝昭 | 群馬大学 | |
| 山添 知宏 | 聖隷三方原病院 | |
| 山本 一徹 | 湘南藤沢徳洲会病院 | |
| 山本 貴道 | 聖隷浜松病院 | |
| 渡辺 克成 | 都立松沢病院 | |
| 渡辺 充 | 日本大学 |
関東機能的脳外科カンファレンスは1995年に関東地方を中心として、てんかん、不随意運動、難治性疼痛などの脳神経外科診療に従事している有志の脳神経外科医によって設立されました。
設立以降、毎年春と秋に会合を持ち、機能的脳神経外科学の教育・啓蒙と発展に貢献しています。
本会の設立の趣旨は、「本分野の第一線で実際に活動している医師たちが気軽に率直に意見を交換し合おう」「若い世代にさらに機能的脳神経外科の素晴らしさを伝え脳神経外科の裾野を広くしていこう」というものでした。
さて、本会設立から10年が経過した時点で、設立時の多くのメンバーが、日本のみならず世界においても脳神経外科診療をリードし活躍するまでに成長しました。
この成果を受け、本会では本会の初期の目的は達成されたと考え、今後のさらなる発展のために設立時の世話人はすべて第一線を退いて、10年ほど若返ったメンバーに世話人をバトンタッチし、現在にいたっています。